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ストレスをためないようにする
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人はある日突然、病気になるのではありません。一定期間、その原因が蓄積され、やがて発病するというのが普通です。
だんだん歳を重ね、定年となり、還暦を過ぎた頃からは何らかの病気になる人が多いそうです。
それらの病気は、50歳代の生活に原因があり、50歳代の不調は、30〜40歳代の生活や環境に起因する場合がほとんどだと思います。
30〜40歳代といえば、バリバリの働き盛りの年代です。しかし一方では、「自分は健康である」と過信しているがゆえに、最も危険をはらんだ時期なのです。身体は青年時代のしなやかさがだんだんと失われ、職場でも家庭でも様々なストレスが絶え間なく押し寄せてくる年代です。
ストレスの蓄積と不規則な生活は、血管の老化を早め、生活習慣病を引き起こすことに繋がります。「人は血管とともに老いる」と言われるくらい、血管の老化にブレーキをかけることが生活習慣病予防の第一歩です。
老いと病気はやむをえないことですが、自分の健康管理次第で老いを遅らせたり、病気にかかりにくい身体をつくることは可能です。普段の生活で気をつけたい予防のポイントをあげてみました。
◎三度の食事をきちんととる
朝はコーヒー一杯、昼は軽い外食、夜はドカ食いというような生活は困ります。
三度の食事は栄養バランスよく、きちんと取りましょう。そしてアルコールの飲み過ぎにも注意しましょう。
◎歩け歩け
一番気軽にできる運動は歩くことです。毎日15分でもスタスタと少し速め歩きましょう。身体も使わなければ退化してしまいます。
◎睡眠不足は危険信号
睡眠が不足すると疲労がとれません。睡眠不足→疲労が積み重なる→仕事や生活に身が入らず支障をきたす、といった悪循環に陥りかねません。健康な状態なら容易に乗り越えられるストレスも、疲れのために身体が耐えられなくなってしまいます。
睡眠時間を確保し、疲労を繰り越さない生活が大切です。
◎たばこは吸わない
「お酒は百楽の長」と申しますが、「たばこは百害あって一利なし」といいます。
副流煙といって、たばこは自分のみならず、周囲に迷惑をかけてしまいます。喫煙者は一念発起してだばこをやめる、減らす努力をしましょう。
◎毎年、健康診断を受ける
普段から健康管理を気をつけていても、身体の内部まではわかりません。
自分の健康状態を客観的に知る意味でも、毎年の健康診断は必ず受けるようにしましょう。
◎仕事以外に趣味を持つ
働き盛りは仕事も忙しく、付き合いも多くなり、自分だけの自由な時間がなかなかとれません。たまの休日も家族サービスにがんばっているという方もいるかもしれません。
それだけに少ない自由時間をいかに使うかが、ストレス解消、ひいては生活習慣病を予防するカギとなります。
スポーツでも、絵を描くことでも、歌うことでも何でもいいのです。仕事以外に目を向け、何か熱中できる「心の広場」を最低一つは持つことです。
40歳を過ぎると、身体の諸機能はだんだんと低下してきます。一方、仕事は一段と忙しさを増すようになります。こうした環境の中、寝付きが悪い、睡眠不足、頭が重い、胃の調子が良くないなど、ストレスを溜め、イライラする人がいます。しかし、これも十分な休養をとれば、よくなって回復するのが普通です。
「ストレス社会」と呼ばれる現代社会。平素から心を広く持ち、現実の出来事を認め、ストレスによる魔の手にとりつかれないようにしたいものです。
しかし、ストレスを完全になくすることは不可能でしょうし、逆にストレスから気づくことや学ぶこともあります。
ですからストレスと上手に付き合うくらいの心持ちで、気をつけながら日々の生活を送るということが大事ではないでしょうか。



 
| 真之丞 | 21:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
節分と立春について
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 暦の上で、2/3が節分で、2/4は立春です。皆さんは、太巻き寿司の恵方巻きを食べて、豆まきをされましたでしょうか。今年の、縁起の良い方角・恵方は南南東だそうです。年の数だけ、豆を食べましたか?。
 今日日、スーパーやコンビニで恵方巻きの巻き寿司が売られているのが当たり前となっていますが、その現代の恵方巻きの起こりは、昭和48年と言われています。
 昭和48年(1973年)、大阪海苔問屋協同組合が作製したポスターを寿司屋が共同で店頭に貼り出し、海苔を使用する太巻きを「幸運巻ずし」としてキャンペーンが展開されたんだそうです。そして、翌昭和49年(1974年)には大阪市で海苔店経営者らが海苔の需要拡大を狙って、節分のイベントとして「巻き寿司早食い競争」を始め、これがマスコミに取り上げられて、以来、徐々に知名度が上がっていきました。
 最初は大阪発の販売促進イベントだったのが、海苔業界、寿司業界はもとより、スーパーやコンビニの販売戦略とPRで、現代における「節分の恵方巻き」の文化・風習となり、全国の人々にすっかり定着しました。
 恵方巻きが巻き寿司なのは「福を巻き込む」からです。丸ごと1本食べるのは、「ご縁を切らないように」という意味があります。また、無言で丸かじりするのは、一説には話しながら食べる事は恵方の歳徳神(さいとくしん)様に対して失礼だからと考えられています。

 さてお話を戻します。立春は、冬至(とうじ)と春分の間の例年2月4日頃に当たります。
 立春は冬と春の分かれる節目の日である「節分」の翌日で、旧暦では「寒さがあけて春に入る日」いわば春の初日です。
 つまり、旧暦では、「一年の始まりは立春から」ということで、立春がお正月です。
 旧暦を新暦に当てはめているものですから、現代の新暦のお正月でも、年賀状に「初春のお喜びを申し上げます」とか「迎春」と書くわけですね。

 節分とは本来、季節の移り変わる時の意味で、もともとは立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していました。ですが特に立春が1年の初めと考えられることから次第に、「節分」といえば春の節分を指すものとなりました。
 今回の節分は「立春の前日」のことです。立春が正月なのに対して、節分は大晦日の役割を持ち、その一年間の厄払いのために豆まきを行います。
 そもそも節分の豆まきは、平安時代に宮中で行われていた「追儺(ついな)の儀式」に由来します。追儺の儀式とは悪霊や邪気祓いの行事で、桃の木で作った弓と葦(あし)の矢で、都の四門から鬼を追い払い、1年の厄や鬼を祓って新年を迎える行事として大晦日(12月末日)の夜に宮中で行われていました。
 また中国から暦が伝わると、立春が1年の最初の日ですから、その前日である節分は1年の最後の日である大晦日と同じ意味を持ちます。そのため、1年の厄を祓う意味を込め、いつしか追儺の儀式は、二十四節気上の大晦日である立春の前日に行われるようになり、豆まきの儀式自体を「節分」と呼ぶようになりました。

 節分では、「鬼は外!福は内!」と言いながら豆をまきます。その年に厄年の人が厄払いのためにまくという地方もあります。真冬の寒い時期でもあり、厄災や悪いモノを鬼にたとえて、邪気を払い、病気が入ってこないように、またお家に良いことがありますように、幸せが訪れますようにと、願いを込めて行う厄除け・招福の伝統行事です。
 古来、鬼とは、姿の見えない災いなどを総合的に指す言葉でした。しかし、陰陽五行説の考え方が取り入れられて、鬼は「毛むくじゃらで身のたけが高く、赤や青色の皮膚をしており、筋肉質で丑寅(うしとら)の方角から来る」といったふうにに変化したそうです。丑寅の方角は東北でして、良くない方角として「鬼門」といいます。
 ここで一つ鬼門、いや疑問が解決しましたね(笑・このダジャレ笑うところですからね)
 では、どうして豆を用いるかといいますと、「まめ」という言葉自体ににゲン担ぎや願いが込められています。
 どういうことかといいますと、まめのマは、悪魔の魔。まめのメは、鬼の目のことで、また、滅するのメです。
 豆まきには悪魔のような鬼の目すなわち「魔目(まめ)」にめがけて豆を投げれば、「魔滅(まめ)」すなわち「魔が滅する」という意味があるのです。
 豆は鬼を払う道具でありながら、鬼そのものととらえられていたようです。そのため、節分の豆まきの際は鬼である豆を家の外に投げながら「鬼は外」と唱えます。
 豆まきの他に、鬼を払うため鬼が嫌う柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の頭を刺したものを戸口に立てておいたり、炒った大豆を年の数だけ食べるなどの習慣が現代も続いています。
 鬼が外へ行ったなら、今度は福が来てほしい、福を呼び寄せたいですから、「鬼は外、福は内」と言うようになりました。
 
 私たちにとって何をするのも身体が資本で健康が一番です。まだまだ冬本番、寒い日が続きますので、暖かくしてお過ごし下さい。



恵方巻きのポスター

| 真之丞 | 08:41 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
師走のいわれ
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 毎月18日前後で珠光園さんへお参りに行っています。敷地内に観音様の銅像を奉安されていまして、そもそもの建立発心のゆかりは、太平洋戦争中にブーゲンビル島で戦死された方々への慰霊のためだと聞いています。また珠光園さんは特別養護老人ホームでして、入所者の心の拠り所として、また物故者のご供養のためでもあります。
毎月なんですが、行く日が違ってまして、今月は12月12日でした。今月は12月ということでクリスマスや暮れの行事の日程もあり、この日となりました。
入所者の方、デイサービスの方など30名くらいがお越しでした。観音さんの日ですから観音経を読経し、回し焼香をします。

今回、法要後に12月の旧暦名である師走の由来のお話をさせていただきいました。
師走とは「師が走る」と書きます。もともとは「しはす」という仮名表記でした。で、「師が走る・師走」という漢字表記は江戸時代の元禄年間以降だそうです
では、走る師とは誰なのか?、どうして師走というのか?。今は師走選挙で選挙カーが走り回っていますけど(笑)、諸説あります。
学校の先生も走り回るほど忙しい月から「師走」と思っている方が多いかもしれません。
私見では、元禄時代以降に師走の文字が当てられたこともふまえますと、師走の師とは、お坊さんのことだと私は思います。
「師馳(は)せ月」(しはせづき)といって、平安時代末期の辞書『色葉字類抄』(いろはじるいしょう)や源平時代の『奥義抄』(おうぎしょう)のなかに、「僧侶が東西を馳せる」とか「十二月、僧をむかえ経を読ませ東西に走る」という記述があるそうです。
馳せるというのは馳せ参じるの馳せるです。お坊さんのことを法師とか禅師、導師と言いますよね。
昔は年末やお正月もお盆と同じように祖先の霊をともらう習慣がありました。お経をあげるために、馳せ参じたということですね。平安時代ですから、祖先の御霊をともらうというのは、けがれや厄災を払い、御霊を鎮め安んじめるための祈祷やお祓いだったであろうと推測します。
また現代では、浄土真宗のお寺さんでは「報恩講」といって、親鸞さんのご命日の11月28日にちなみ、11月・12月・1月は真宗のお寺の住職さんが門徒さんのお家へお参りに行くので忙しい時期です。
さらに、江戸時代、年間500万人がお伊勢参りをしていたといいます。お参りの先達のことを「御師」といったそうです。
伊勢御師というのは、江戸時代に伊勢神宮参りをするための旅先案内人、今風にはツアーガイドのことです。彼らは先達であるとともに、お祓いなども手掛けていたため、「師」という言葉があてがわれました。同様に、熊野詣での先達は熊野御師といいます。いわゆる山伏や修験者に近い存在であった思われます。

以上、師走の師はお坊さんである説の紹介でした。

| 真之丞 | 17:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
弘法清水
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空海の泉-弘法大師の心 稀少天然水-

毎日、うだるような暑さですね、大汗。そういう時、清涼な1杯のお水は格別で有り難いですよね!。
さて、讃岐・香川県で「お大師さん」と言えば、弘法大師空海さんです。
写真は地元香川の企業が発売元のペットボトル水「空海の泉」。「弘法大師の心、稀少天然還元水」と謳っています。

◎生創石丸株式会社
http://1403.jp/kuukai/

ちなみに「最澄水」でググってみましたが、伝教大師最澄さんの最も澄んでいるという御名にあやかったペットボトル水はないようです。

弘法大師が錫杖で地面をつくと泉が湧き井戸や池となったというような伝承の水は、「弘法水」「独鈷水」「御加持水」などと言われ、弘法大師と水にまつわるエピソードや伝説はとても多いです。弘法大師ゆかりの水は四国霊場の札所はもとより、日本全国に日本全国で千件以上にのぼるといわれています。
水は我々の生活や農業に必要不可欠です。人々はいつの時代も必要かつ良質の水を求めてきましたし、水不足だと何かと困ります。
弘法清水伝説は、「困っている民衆を救ってくれるもの」「水のありかを教えた」「施しの御礼に水を充実させた」といった善徳を積んだお陰をいただいたタイプの伝説と、これとは逆に水が出なくなったというパターンも各地に残っています。
たとえば、「弘法大師が飲み水を所望したところ、飲み水はありませんと断った結果、弘法大師は、村の水は飲み水として使えなくしてしまった」とか、「水が減った」「水が濁った」「水が枯れた」「より遠方へ水を汲みに行かざるをえなくなった」というようなものもあるそうです。
いわゆる弘法大師による勧善懲悪つまり善因善果・悪因悪果という仏教でいう縁起の理法を表しているともいえるでしょう。
そして水を自在に操ることができる験力の持ち主=弘法大師像として、全国各地で水にまつわる数々の伝承へと発展していったのです。
きれいな水は私たちをはじめとする生き物にとって絶対不可欠なもの。水は当たり前という考えから脱して、ありがたさをいただいて利用したいものです。

| 真之丞 | 09:07 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
往来証文と遍路道中心得
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去る4/17に海岸寺さんの7か所まいりに参加し、『7か所まいり霊場勤行次第』をいただきました。その裏面に『往来証文之事』と『遍路道中心得』がありました。私事、四国遍路経験者ですが、覚え書きのつもりで紹介します。

『往来証文之事』というのは、江戸時代、心願のため遍路巡礼している者だから、関所等を通してあげて下さいという証文として、身元保証書をお寺が発行していたということと思われます。また併せて、一夜の善根宿の提供願いも添えられています。なお、「件の如し」とは、前に述べた事柄を読者承知しているものとして示す語です。

『7か所まいり 交通安全 往来証文之事』
(住所)(氏名)と申す者、心願御座候(ござそうろう)に付き、今般四国七ヶ所まいりに罷(まか)り出(い)で申し候(そうろう)。
此の者、当寺善男善女に紛れ御座なく候。国々御関所に差し懸かり候はば、格別の御慈悲を以て相違なく御通し下さるべく候。
万一、行き暮れ候わば、御一宿仰せつけられ下さるべく候。
願い上げ奉り候。
仍(よっ)て証文、件(くだん)の如し。
讃州白方屏風浦海岸寺[押印]
平成二十三年辛卯十一月
国々御関所
村々役人中
為 道中安全 災難消除 心願成就


一方、『遍路道中心得』ですが、この九箇条も江戸時代の巡礼遍路の内容と思われます。

『遍路道中心得』
一、不惜身命を思い定め、無常忘るまじ事。
二、色欲、身欲、名聞欲を離るべき事。
三、五戒を保つは勿論(もちろん)也。
四、山賊追剥ぎに逢はば、裸にて渡すべし。
五、衣食居は天道に任すべし。
六、船賃茶代少しもねぎるまじき事。
七、乞凶病人に慈悲を加ふべし。
八、望む人あらば貴賤を撰ばず、一言も否(いな)といふ詞(ことば)出す間敷(まじき)なり。
九、一足も馬駕(ばが)にのるまじき事。

一〜三:欲を離れて一所懸命に遍路しなさい。
四・七・八:たとえ盗賊であっても、万人に慈悲の心で接しなさい。
五・六:衣食居や金銭は本分をわきまえなさい。
九:己の足で歩きなさい。

上記で江戸時代における遍路巡礼の様子の一端がわかりますが、とにかく今以上に大変であったことが伝わってきます。

| 真之丞 | 08:39 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
『しんみん五訓』
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 某S新聞のコラムにありましたが、詩人・坂村真民さんの『しんみん五訓』を紹介します。

(1)クヨクヨするな
済んだことは仕方ない。なんとかなるものです。前向きに行きましょう。

(2)フラフラするな
己自身をしっかり持ち、まずは一つのことに集中しましょう。
勉強しかり仕事しかりです。

(3)グラグラするな
どっしりと構え、自分を見失わないようにしましょう。
回りから見て不安定では信頼されません。

(4)ボヤボヤするな
時は金なりと申します。ポケッとしてても自分の持ち時間は限られています。
己を見つめ、そして周囲を見て、一歩を踏み出しましょう。

(5)ペコペコするな
頭を下げる時は下げる必要がありますが、人の顔色ばかりうかがうのではなく、誇りや気概をもって生活しましょう。


「念ずれば花開く」のお言葉のごとく、信念の大切さと通じるように思いますし、いずれにも共通するのは、「己をしっかりと持つ」ということでないでしょうか。そこからの一歩で全てが開けてくるように思います。
しんみん五訓は私にとっても心留めるべき事柄と感じています。

| 真之丞 | 18:03 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
丸刈り・坊主頭考
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 過日の東京マラソンで14位に終わった公務員ランナーの川内優輝選手が、翌日丸刈りで記者会見に臨みましたね。オリンピック(五輪)にちなんで5厘(1.5〜2mmくらい)に刈り上げました。
この川内選手の五厘刈りですが、自身の気合いを入れ直したのだと思いますw。

ウィキペディアも参考にしますと、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%88%88%E3%82%8A
古来より仏教では、己への戒めとして「頭を丸める」ことは悟りの境地へ達する「解脱」・げだつ=さとりのこと」への第一歩とされていました。
僧侶が出家するときに剃髪をしますが、この由来は師であるお釈迦様に倣ったものです。何でも古代インドでは頭髪を剃るのは恥辱とされており、重罪を犯した者に対する一種の刑罰でしたが、お釈迦様は自らの解脱・さとりのため進んで剃髪し、それに弟子たちも従ったものです。ですから僧侶の髪型なので、別名・坊主頭といわれるようになりました。一方、罪人の髪を剃る刑罰は中国でもあり、日本の天つ罪(あまつつみ・雨障)に対する禊ぎ(みそぎ)など広く見られるものでした。
そして現代では「スキンヘッド」といい、ヘアースタイルの一つとして認知され、ある種のおしゃれでもあります。
丸刈りは髪のお手入れも世話なく、飾りも付ける必要がありません。実に丸刈りは合理的でシンプルと言えるでしょう。ちなみに私も丸刈りの坊主頭でして、お風呂ではシャンプーで洗髪しています(笑、リンスを付けるというと驚かれる方もいます、爆)。

さて、現代日本で丸刈りのタイプや意味は次の5つがあるのではないでしょうか?。

(1)反省型
物事に対して反省し、自分としてのけじめを付け、周囲に誠意を示す。一種の禊ぎとも言えそうです。

(2)落としまい型
反省型の延長ですが、不成就の際の落としまいを付けるという意味があります。
ミヤネ屋の宮根誠司さんは東京マラソンで目標タイムに届かなかった時(2009年)、おにぎりの販売目標数が届かなかった時(2011年)に断髪しました。

(3)気合い型
自分に気合いを入れ直す意味。
北京五輪でのダルビッシュ選手(2008年)。なお、この時、マー君も丸刈りの道連れになりましたが。

(4)パフォーマンス型
長髪から短髪にすると、「急にどうしたの?」となります。目立ちますし、周囲の気を惹くことできます。
またスキンヘッドといわれるように現代では髪型の一つとして理解されています。

(5)ルール型
高校野球の野球部員、宗派で剃髪が決まっている僧侶、某隊員など、規則やルール、しきたりで定められている丸刈りです。

(1)〜(4)は内容的に相互関係し合っている要素もありますが、一応、5分類にわけてみました(笑)。

| 真之丞 | 18:22 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
成功者と失敗者の条件
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Hさんのブログ(FB)で『成功者と失敗者の条件』がありました。
日常の心得として紹介します。
 
成功者と失敗者の条件
成功する人 失敗する人
1 人間的成長を求め続ける 現状に甘え、現実から逃げる。
2 自信と誇りを持つ。 愚痴っぽくなり言い訳ばかりである。
3 常に明確な目標を指向する。 目標が漠然としている。
4 自己訓練を習慣化する。 気まぐれで場当たり的である。
5 他人の幸福に役立ちたい。
役立つ喜びを持つ。
自分が傷つくことは回避する。
6 失敗を成功へのプロセスと考え、経験を活かす。 失敗を恐れて何もしない。
7 今ここに100%全力投球する。 いつかはやると言ってどんどん引き延ばす。
8 自己投資を続ける。 己を磨かない。物事を途中で投げ出す。
9 何事も信じて行動する。 不信感が先に立ち行動できない。
10 段取りし、時間を有効に活用する。 時間を主体的に創らない。
11 できる方法を考える。工夫する。 できない理由が先に出る。
12 可能性に挑戦し続ける。 無理だ、不可能だと考える。
| 真之丞 | 16:29 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
むすび、絆
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 日本漢字能力検定協会主催の平成23(2011)年を表す漢字は「絆」でしたね。
京都清水寺の森貫主の揮毫がニュース報道されていました。やはりと思った方も多かったと思います。
全国49万6997通の応募があり、「絆」は最多の6万1453通(12.4%)だったとのことで、東日本大震災や台風被害で家族の大切さを今まで以上に感じ、被災した人たちが様々な人との絆で助けられたり、支援の輪も広がったことが大きいと思います。
また、住友生命が「日本の未来を強くするために必要なものを表す漢字一文字」を募集したところ、こちらも「絆」が第1位になりました。
絆を国語辞典で調べますと、「人と人とを離れがたくしているもの。断つことのできない結びつき。」とありました。
古来、日本では「産霊・むすひ」という言葉を用いてつながりを大切にしてきました。産は生み出すことを、霊は霊妙なる働きを意味します。
「息子・むすこ」や「娘・むすめ」と呼ばれるのは男女が結ばれ、子どもが生まれるところから、「産霊彦・むすひひこ」で「むすこ」、「産霊姫・むすひひめ」で「むすめ」となったと言われています。
「むすび」とは大自然の力によって新たなるものが生み出される様であり、その生み出しのために必要な働きが「むすび」なのです。「むすび」は結びで、連結、和合、生成などを一語に含み持つ言葉なのです。
少し日本神話チックなお話ですが、「むすび」とは私たち人間のパワーの根源といえます。人と人との絆によって「むすび」が生じます。
ご縁ともいいますが、まずは今の自分の絆(例えば家族、親戚、友人、同僚、ご近所さんなどなど)をしっかりとみつめて生活していきたいものですね。そして当たり前の有り難さや協力するチームワークの大切さも再確認しましょう。

参考:『職場の教養』2011年12月号

| 真之丞 | 09:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
偉大なる平凡人たれ
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偉大なる平凡人たれ−大産大

12/4に某検定試験があり、大阪産業大学(大東市)に受験に行きました。四国観光検定以来の受験です(笑)。JR野崎駅から歩いてキャンパスに向かいましたが、現代的なビルのキャンパスと大きな校門があり、次の石版が目に止まりました。

「偉大なる平凡人たれ」

帰宅して大阪産業大学HPを覗きますと、この建学精神について簡単な解説がありました。
−−−−−−−−−−−−−−
偉大なる平凡人たれ−創立者・瀬島源三郎は、わが国将来の産業経済を考えるとき、交通と産業の併行的発展こそ、不可欠であることを痛感し、赤手空拳をもって、昭和3年(1928)年大阪鉄道学校を創立しました。
以来、交通・産業教育に加えて、人間形成、創造性開発に重点をおく人材を育成し、自己確立の信念に生きる人づくり、即ち「偉大なる平凡人たれ」を建学の精神とする独自の学風を通じて、深い人生観と広い世界観を養うとともに、新しい産業社会の発展と人類の福祉に寄与できる世界的視野に立つ近代的産業人の育成にたゆまざる情熱を傾け、日進月歩の社会発展に対応できる学府として貢献してきました。
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私たちは名誉や地位にこだわりがちです。また一足飛びに頂上やトップを目指そうと考えてしまうことがあります。そんな私たちが生きる社会においてエレベーターみたいに途中過程をスッと進めるものではありません
平凡な生活の中で社会に貢献し、そのことに喜びを感じるような人間になれ、ということです。社会を支え、歴史を創ってきたのは大勢の人々のお陰です。その大いなる平凡人の力の結集は強力です。あえて「平凡」という言葉を用いて地に足のついた、一人ひとりの努力の大切さを説いたのではないでしょうか。

同系列の大阪桐蔭学園も同じ建学精神をうたっています。
「未来への夢と希望」を持って、「努力・挑戦」する精神を養い「自主・自立」を育てます。・・・「偉大なる平凡人たれ」の理念であります。
と。

| 真之丞 | 16:39 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |

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